ヒップホップ
ヒップホップとは文化の名称です。
ストリートダンサーとして最低限の知識です。
*この記事はwikiからの転載。
ヒップホップ(hip hop)は1960年代後半から1970年代のアメリカ合衆国ニューヨークで、アフロ・アメリカンやカリビアン・アメリカン、ヒスパニック系のコミュニティによって行われていたブロックパーティーから生まれた文化。

アフリカ・バンバータによる造語であり、「アフロ・アメリカンが、それ以外の文化(音楽、ファッション、アート)を取り入れ、新しいスタイルを生み出すこと」をヒップホップと呼称したのが始まりである。

単に「ヒップホップ」と言った場合、文化から派生したサンプリングや打ち込みを中心としたバックトラックの上で、MCが韻を踏んでいく(ライムする)音楽形態を特に指すことが一般化しているが、これらはヒップホップ・ミュージックあるいはラップ・ミュージックと呼ぶのが正しい。

■ヒップホップの要素
主に、四大要素と呼ばれるラップ(MC)、DJ、ブレイクダンス、グラフィティによって構成される。

これらはアメリカのギャング文化とも関係があるといわれ、抗争を無血に終わらせるために、銃や暴力の代わりとしてブレイクダンスやラップの優劣が争われたり、ギャングたちのなわばりの主張や情報交換の目的に、一部のグラフィティが用いられていたと言われている。ラップ、DJ、ブレイクダンスは、ギャング文化時代の名残として、フリースタイルバトルと呼ばれる対決方式が存在する。

現在は発祥地アメリカだけにとどまらず、ダンスのジャンルとしてブレイクダンスを踊ったり、グラフィティをアートとしてとらえる動きもあり、世界各国に広まっている。

■ヒップホップ・ミュージック
その創始には諸説が有るが、一般的に1970年代初期に生まれ、クール・ハーク(ブレイクビーツの発明者)、グランドマスター・フラッシュ(スクラッチ技術の流布者)、アフリカ・バンバータの3大DJたちの活躍によって、それまでのコミュニティー・パーティーを超えた音楽として広がり始めた。1974年11月12日、アフリカ・バンバータがこれらの文化を「ヒップホップ」と名付け、この日がヒップホップの誕生日である。この事から、11月は「Hip Hop History Month」として祝う習慣がある。

曲調や服ファッションなどのスタイルを、オールド・スクール(oldschool, 70年代〜80年代初期)、ニュー・スクール(newschool, 80年代後期〜現代)と、時代で区別する。

オールドスクールのヒップホップミュージックはDJとMCの融合が完全にされていない時代であったため、歌詞よりリズムを主体とする。ファッションはRun-D.M.C.に象徴される、(イエロー)ゴールドアクセサリーにアディダス製のジャージとスニーカーである。

ニュー・スクールは現代までだが、実際のところヒップホップが全世界的に認知される直前の、90年代までを指す場合が多い。 ファッションは、シルバー(銀製品に限らず、ホワイトゴールドやプラチナなど、シルバーカラーの)アクセサリー、特に近年は成功者の象徴としてダイヤモンドをあしらった装飾具が好まれる傾向にある。

サイズの大きな衣服や、バギースタイルのパンツ(大きいサイズのダブついたズボン)を選び、腰履きで着こなすアーティストが多い。大きい服を着るようになったのは、刑務所の囚人服は、走ることや格闘が困難になるように、必要以上に大きめのサイズが用意されている。そのため腰がずり落ちてバギーパンツになった。出所後も「ムショ帰り」を誇示するために着用された、とする説がある。また、貧困のために頻繁に服を買ってやれない親が、成長してからも着られる大きいサイズの服を買い与えたところからとする説もある。

別のカテゴライズとして、アーティストの出身地から、ヒップホップ発祥の地「イースト・コースト・サウンド」(N.Y.などのアメリカ東海岸)、「ウエスト・コースト・サウンド」(L.A.などの、アメリカ西海岸。ウエスト・サイド)に分ける。初期の「イースト・コースト・サウンド」はジャズトラックを使用した楽曲が多く、対して初期の「ウェスト・サイド・サウンド」はシンセサイザーなどの電子音を使用し、「ギャングスタ・ラップ」と呼ばれる、ギャング出身者や、ギャングの風貌で、そのライフスタイルを歌詞にするものが多かった。近年は「サウス」(南部)や「ミッドウエスト」(中西部)と呼ばれる、ローカルサウンドも登場している。サウストラックはバウンスビートが特徴。ヒップホップのポピュラー化により、イースト・コーストで「ギャングスタ・ラップ」をするものが現れたり、地域による分類が、アーティストの出身地訛り以外では、それほど意味をなさなくなっている。地域性よりも、ファレル・ウイリアムス、カニエ・ウェストといった音楽プロデューサーたちの音楽性が、楽曲の特徴になっているのが現状であり、他ジャンルアーティスト同士とのフィーチャリングやサンプリングにより、R&Bやレゲエとの境界は徐々に薄れている。

■ヒップホップ東西抗争 1990年代頃から東海岸を代表するディディ(パフ・ダディ)、ノトーリアス・B.I.G.擁するバッド・ボーイ・エンターテインメント(Bad Boy Entertainment)と、西海岸を代表するスヌープ・ドッグ、2パック(出身はイースト・コーストではあるが、最盛期の活動場所はウエスト)らが所属するデス・ロウ・レーベルとの対立が象徴的であるように、両海岸のアーティストたちはお互いを牽制、威嚇、卑下し合った。それらの内容はラップの歌詞にも現れ、ギャングやマフィアを巻き込んだ暴行、襲撃、発砲事件などに発展した。ヒップホップ史上最悪であるこの東西抗争は、2パック、ノトーリアス・B.I.G.という両海岸を代表する有能なMCを、ともに銃撃事件で失うことになる。事態を重く見たドクター・ドレーが沈静化に努力した。

現在は、個人間のビーフ(中傷合戦)を除いて、沈静化している。

■日本だけで使われる用語
▼ミドルスクール
オールド・スクールと、ニュー・スクールとを繋ぐ年代を、「ミドル・スクール」として区別するのは日本だけである。

▼Bボーイ
「Bボーイ」、「Bガール」という言葉を“ブラックファッションをしている人”と指したり、“B”を“black”という意味に解釈した「B系」などと使用するのは日本だけである。
また、Bボーイ、Bガールを「アフロ・アメリカンの文化(=ヒップホップなど)が好きな人」という解釈が日本では浸透している。アメリカでもこのような使い方をすることがまれにある(RUN-DMCがブレイクダンサーのような動きやファッションを取り入れ、“B-Boy Stance”と呼んだことがメディアを通して誤用された)が、アメリカでBボーイといえば、一般的にはブレイクダンサーのことを指す。「Bボーイ」という言葉はクール・ハークによって名付けられたとされ、ブロックパーティなどで自身が作り上げたブレイクビーツを流すと踊りだすダンサーの事をB-boying、その踊りのことをブレイキン(break'n)と呼んだことに由来する。またヒップホップ発祥の地ブロンクス(Bronx)の“B”でもある。 「ヒップホッパー(hip hopper)」という言葉も同じように使われることもあるが、KRS・ワンなどによると、本来は、「ヒップホップの四大要素全てが凄腕で、筋金入りのヒップホップ育ちのような人」を指すのが正しい。
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