シカゴハウス
練習会でよく流れるHOUSE MUSICのひとつでありHOUSE MUSICの原点です。
シカゴ・ハウス(Chicago house)はハウス音楽の初期のスタイルで、その名が語るとおりアメリカのシカゴで誕生した音楽である。
ニューヨーク出身のDJのフランキー・ナックルズがシカゴのウェアハウス(Ware house)(この「ウェアハウス」という名前が「ハウス」音楽の名前の語源である)と呼ばれる黒人のゲイ向けのクラブにおいて掛けていた音楽である。ニューヨークのディスコの影響を受けつつも、ポップさが減る、4つ打ちの激しく機械的なビートが強調される、ベース音はよりディープになる、流麗なオーケストラの代わりにシンセサイザーが多用される、ヴォーカルは存在しないかあってもディスコのように歌姫が叙情的に歌い上げるようなものではなくより呪術的でかつ無機質なものになる、などの特徴がある。ナックルズのウェアハウスの他にも、ロン・ハーディーがDJを勤めるクラブ、パワープラントもより激しいスタイルでナックルズのウェアハウスに対抗し、シカゴのハウス・シーンを盛り上げた。

こうした音楽の制作に大きく寄与したのが、当時格安で出回っていたシーケンサーやベースシンセサイザーRoland TB-303やドラムマシンRoland TR-909である。これにより、オーケストラやプロのセッション・ミュージシャンを必要としたディスコなどと異なり、アイディアさえあれば貧乏な素人でもハウスの曲を制作する事ができた。また、このベースシンセサイザーのRoland TB-303のセッティングを極端にいじることで演奏できるウニョニョとしたドラッグ体験を思わせる奇妙な機械音(これは本来TB-303をシンプルなバンド伴奏用として製造した、Roland (ローランド)社の意図した使い方ではなかった)が多くのシカゴ・ハウスの楽曲へとフィーチャーされ、これは後にアシッド・ハウスと呼ばれる音楽へと変化していく。こうした音楽を多数リリースしてシカゴ・ハウスを代表するようになったレーベルにTrax Recordsなどがある。

シカゴ・ハウスやアシッド・ハウスはその後、海の向こうのイギリスで起こったセカンド・サマー・オブ・ラブ運動とレイブのブームにより世界中で爆発的な人気を得る。だがその海外での人気とは裏腹に地元のシカゴではやがてハウス音楽のシーンは寂びれ、多くのDJやプロデューサーはその音楽制作の収入や活動の主な舞台をヨーロッパに頼らざるをえなくなる。この状況は現在に至るまで続き、その後の90年代になってからシカゴから登場したグリーン・ベルベットやその他のアーティストも、地元のシーンを盛り上げるには至らず、その主戦場をニューヨークやサンフランシスコ、ヨーロッパや日本へと移すこととなる。

また、このシカゴハウスの黒人音楽をベースとしつつも、大きく人工的な機械音とシーケンサーを導入したスタイルは、その隣接都市圏であるデトロイトの黒人ミュージシャンたちに大きな影響を与え、彼らはこうしたシカゴハウスをさらに発展させつつ独自のものとした、まったく新しい音楽、後にデトロイト・テクノと呼ばれることになる音楽を生み出すことになる。
⇒戻る!